エネルギーを大量投入して生物多様性を喪失してしまう近代農業。その解決策として注目される多年生穀物は、毎年耕す必要が無く、環境を再生する食料生産の鍵を握っている。
腸と森の「土」を育てることと、プラネタリーヘルス
山本 謙治分かつことのできない、プラネタリーヘルスと人の関係
プラネタリーヘルスとは、人類と地球の健康は密接に関わっており、人が健康であるためには地球の健康が保たれることが重要だという考え方である。
このプラネタリーヘルスの考え方に医学的な観点から賛同し、重要視する人がいる。医師として人を治すのみならず、自然環境を含めた地域全体にはたらきかける「地域創生医」として活躍する桐村里紗氏こそが、その人である。
桐村氏は、自身の身体を巡る洞察からこのプラネタリーヘルスの考え方に共鳴し、医師でありながら「白衣を脱ぎ捨て、フィールドに出てしまいました」と笑う。その「フィールド」という言葉が示す範囲はとても幅広いものなのだが、現代医学界の内側から出た彼女が、特に真摯に向き合っているのが食のあり方である。
「人は自分が食べるものを選択することによって、プラネタリーヘルスの実現に関わることができます。自分を健康にするための食の選択は、同時に自然をも再生修復し、健康にできるものなのです。それを目指すことは、地球や社会のためでもありますが、巡り巡って自分に還ってくることなのです」なぜそう言いきることができるのか。それは、このような確信に至るまでの彼女の道のりを追えば理解できることだ。
意外なことに、桐村氏の幼年期は健康とは対極にある、病(やまい)と付き合わざるを得ない日々だったという。
「母が薬害に悩まされていまして、さまざまなお医者さんに診てもらったのですが、原因がわからずたらい回しにされていました。挙げ句の果てに処方のないまま匙を投げられ、現代医学に見放されたような状態になってしまったのです。民間療法やホリスティック医学の世界を行脚する母をみているうちに『私が治してあげなければ』と思い、医学を志すようになりました」
そして、原因のわからない症状に悩まされたのは母親だけではない。桐村氏自身、重度のアトピー性皮膚炎に悩まされる幼少期を送っていた。
「母が母乳のまったく出ない体質だったこともあり、粉ミルクを飲んで育ったことが大きな原因だと思われます。母乳は乳幼児の心身をつくる重要な栄養源になるだけでなく腸内細菌叢や免疫を形成するための要素が満たされているのですが、1980年当時代の粉ミルクには皮膚形成に重要な亜鉛が添加されていなかった上に、そうした要素であるラクトフェリンやビフィズス菌が入っていませんでした。そのせいか、幼い頃は全身が真っ赤になる重度のアトピーと下痢に悩まされる毎日でした」
当時の医療の世界では、腸内細菌叢がアレルギーに関与していることなどの知見がなかったため、皮膚科で炎症を治すためだけの対症療法的な医療しか受けることができなかった。このように、母親や自分を見舞った原因のわからない症状に立ち向かおうと医学を志し、みごとに医師免許を取得することとなったのである。
内科医となって、生活習慣病の治療や終末期患者の在宅医療などを受け持つなかで、彼女の医療に対する意識は大きく変わりつつあった。対症療法と呼ばれる、特定の症状のみにフォーカスした治療のあり方だけを追求することにははなから疑問があったが、人の暮らし方が病気の原因となっているのだから、病気になる前に原因を突き止め、改善することで人のクオリティ・オブ・ライフを向上することができないのだろうか。そうした考えが芽生え、桐村氏は予防医療の道に進んだ。
「予防医療を行うなかで、分子栄養療法、腸内フローラ検査や有機酸検査などの検査をすると、これまでにわからなかった人それぞれの体質や腸内環境、環境的な健康への影響要因などを把握できるようになるのです」
とくに、多くの患者で行ってきた腸内フローラ検査で、一つの気づきが生まれる。それは、腸内環境と自然環境における土壌の状態が相似しているというものであった。この気づきが、桐村氏の近著となる『腸と森の「土」を育てる』(光文社新書)に繋がる重大なきっかけとなっている。
相似して相関している、腸と森と土の関係性
地質学者のデイヴィット・モンゴメリーと、生物学者であるアン・ビクレーの夫妻による『土と内臓』(築地書館)では、二人は新居の庭の土壌に有機物を投入し、微生物の働きによってそれが分解され、土壌が改善されていく過程を体験する。それに併行して、アンがガンを患うことにより、食事を見直し、健康を再獲得していく過程をも体験する。この二つの体験から、人の身体(≒内臓)と自然界の土壌が相似しているということに気づく。
そこで描かれているのは、自然界にも人体内にも、おびただしい数の微生物が共存しており、互いに影響を及ぼし合っていること。そして、人の腸のあり方について「ヒトの消化管をひっくり返すと植物の根と同じ働き」とし、「根は腸であり、腸は根なのだ!」(どちらも同書第13章より)と、その構造を明らかにしていること。そして、土壌の改善に微生物のはたらきが重要な鍵を握っているのと同様に、人の身体も微生物のバランスが崩れると、危機が訪れる。それを治療するためには、腸内細菌叢をはじめとする微生物のバランスを取り戻すことが必要だという示唆である。
桐村氏は、モンゴメリー夫妻が環境としての土壌を観察することで得た洞察を、医療の眼で腸内を観察するところから、同様の洞察に行き着いたという。
「予防医療の観点から、人の腸内細菌叢を検査して、食事療法などを指導してきました。その中で、腸と、腸内細菌が食べものを発酵させて作る排泄物との関係が、森と土のあり方そのものだと洞察するようになったのです。私たちの腸内にいる何億もの腸内細菌は、私たちの祖先が、草や木の実などのたべものを摂取する際に付着した土壌菌がルーツです。そうした土壌菌が人の腸内で『ここはたべものも供給されるし、温度もちょうどよいし、居心地がいいな』と棲み着いたものがルーツとなっているのです。ですから、土壌菌と腸内細菌が行っていることはほとんど同じです」
森の中で落ち葉や朽ちた木、動物の糞や死骸などの有機物は、分解者である昆虫や土壌菌によって他の生物や植物が利用できる形に分解される。その分解物を、植物は養分として根から取り込み、取り込んだものを養分に変換して、茎や葉脈を通してすみずみまで届ける。人体も同じで、口から摂取したたべものを消化器の働きで分解し、それをさらに腸内細菌が分解したものを腸から吸収する。腸には絨毛上皮という、植物の根っこのような細胞があり、そこから腸内細菌のサポートを得て栄養素を体内に取り込み、血液を通じて細胞に届ける。
「この一連の営みをみると、腸内は森であると言えるのです」
このように、自然の土壌と人の腸はどちらも微生物に満たされており、二つの世界は相似関係にあるわけだが、単に相似しているだけではない。もっと踏み込めば相関関係にあると言える。
もともと、人が野菜などを食べる時に土壌由来の微生物も口の中に入り、それらが腸内細菌叢との共同作業で腸内環境を豊かにしていたはずである。ところが現代の食品製造の世界では、微生物を徹底的に排除するために殺菌を行い、食品に付着する菌数を減らすことが重要視されている。
また、病気の治療において感染症対策に抗生物質を処方されることが多いが、抗生物質は人と共生している常在の微生物をも「大量殺戮」してしまう側面も持っている。こうして腸内細菌の種類が減り、多様性が失われ、病原性を発揮する菌種が増えてしまう「ディスバイオーシス」が引き起こされる可能性も高まるという。
「痩せた土壌は微生物の多様性や活性が低くなって、バランスが崩れてしまうことがあります。それと同じく、腸内の土壌が腐敗すると脳を含む全身の臓器に影響を与え、心身の様々な疾患や不調を引き起こすこともあるのです」
腸内の土壌である細菌叢の悪化によって引き起こされる可能性のある疾患は、現在確認されているだけでもアトピー性皮膚炎に代表されるアレルギー性疾患、一型糖尿病などの自己免疫疾患、潰瘍性大腸炎などの炎症性腸疾患、うつ病や発達障害などの精神疾患、パーキンソン病などの神経変性疾患、そして大腸がんなどの悪性腫瘍など、枚挙にいとまがない。
つまり、人が健康になるためには、腹の内なる土壌が豊かな微生物で満たされていることが大事であり、その源である自然界に満たされた微生物が健全であることが必要だと言うことなのだ。ところが、頼みの綱となる自然環境の方も、人間の関与によってズタズタにされている状態だ。
「地球の限界=プラネタリー・バウンダリーという考え方があります。そこを越えると、取り返しのつかない環境変化が生じてしまう可能性のある境界のことを言います。すでに、気候変動、チッ素とリンの循環、生物多様性の損失、土地利用の変化といった事柄については、すでにその境界を越えてしまったと考えられます」
人間は、自らの活動によって地球環境を病気の状態に追い込んでしまったわけだ。けれども、地球を回復できる存在もまた、人間なのだ。そして、そのキーとなる行為こそ、私たちの食の選択なのだと、桐村氏は言う。
食選択によって自然を癒やし、地球を治療できる
「現代は、人が生活する世界の中で、人が生きるだけで人が病気になり、また環境も病気になったような状態になってしまう時代です。人と地球は一体で、人が環境に影響を与えて病気にしてしまいますし、逆に環境が人を病気にしてしまうという関係にあります。人の営みの中で、地球も人も健康にしていかなければならない。そこに考えが行き着いた時、真っ先に思い浮かんだのが食の選択を通じて世界を変えていくということなのです」
環境活動家のポール・ホーケンが、地球規模の環境問題を解決するための方策をまとめた『ドローダウン』(山と溪谷社)によれば、地球温暖化を進めてしまう主要因と思われているエネルギー問題やプラスチック問題よりも、食の分野の解決策を実行した総和の方が、温室効果ガスの削減効果が高くなるそうだ。
「食の分野の17の解決策を合わせると321.93ギガトンもの温室効果ガス削減につながります。一方、エネルギー分野の解決策をすべて合わせても246.13ギガトン。つまり、私たちの食の選択こそが世界を大きく変えうるものなのです」
では、どのような食を選択することが求められるのだろうか。
「プラネタリー・ヘルス・ダイエットという考え方は、世界16カ国の研究者が、科学的な根拠に基づいて、人間の健康と持続可能な食糧システムを実現できる食のガイドラインです。一日2500キロカロリーの摂取内容を、未精製の穀物、野菜、果物、乳製品、ナッツ類、そしてたんぱく源を持続可能な割合で食べましょう、ということが提唱されています」
「厳密にプラネタリー・ヘルス・ダイエットを実践するまでいかなくても、たんぱく源を肉中心から植物性中心のライフスタイルに変えるということは大きなインパクトとなります。牛肉のように生産時の環境負荷が大きいたべものを減らし、日本人が大切にしてきた伝統食に立ち返ることが有効でしょう。多様な植物性の食品をとることで、腸内の土壌にもよい影響があります。また、穀物や野菜を育てる農業においても、化学肥料や農薬を多用する慣行農法ではなく、有機物を循環させ、土壌を回復できる農法で栽培されたものを選ぶことで、環境をよりよくすることに力を貸すことができるのです」
そんな桐村氏は、パタゴニアが取り組んでいるリジェネラティブ・オーガニックがまさにプラネタリーヘルスとの親和性が高い考え方であり、有効なアクションであるとする。
「通常のオーガニック農業は『持続可能』に留まりますが、リジェネラティブというのは『地球に対する治療行為』と考えられます。これはまさに、プラネタリーヘルスの考え方と同じと言ってよいでしょう」
パタゴニアの創業者であるイヴォン・シュイナードの「人間は自然の一部であり、自然から切り離された存在ではない」という考え方と彼の行動に感銘を受けた桐村氏は著書執筆のために取材を実施した。パタゴニアの出発の地であり、本社所在地であるカリフォルニア州ベンチュラの、イヴォンの鍛冶作業場にまで足を運んだという。
「イヴォンが考え、実行していることを想起して、そこでしばらく佇んでしまいました。パタゴニアは山から連続する川、そして海までの生態系を連続的に捉えて製品に反映しています。そのなかで、人が生きるための根源的な行為である食に対するアクションも始めている。パタゴニア プロビジョンズという食のコレクションを通じて、人の豊かな暮らしと喜びと共に、世界をよりよくするのだという理念は、素晴らしいと思います」
いま、桐村氏は「白衣を脱ぎ捨て」、鳥取県江府町に住まいを構え、地域創生医という新しい肩書きを持って活動している。無農薬・無施肥・不耕起で農を営み、自治体と組んでプラネタリーヘルスを実現できる町づくりの新しいモデルを創出しようとしている。
「プラネタリーヘルスは、自分と切り離された地球環境へのアプローチではありません。それぞれの人が、その土地の気候風土の中で、当たり前に暮らしを営むことで、その土地と循環していることを思い出すことが、大切な第一歩なのだと思います」
私たち人が微生物を介して自然界と地続きの関係を築いていること。その人の健康も地球の健康も、人の過剰な営みによって共に損なわれてしまっていること。それを改善することができるのもまた、人の営みであり、食の選択ことが鍵となっていることを、桐村氏から学んだ。では、実際どのような選択が、地球を、地域を、そして人を癒やすのだろうか。その答えを探求する桐村氏の活動から、目が離せない。
2022年12月18日にパタゴニア プロビジョンズが開催した食についてのトークセッションに、ゲストとしてお越しいただいた桐村里沙さんのお話の内容をもとに構成しました。
パタゴニア プロビジョンズ・トークセッション
「食×腸」ゲスト:桐村里紗
農産物と畜産物の流通に携わりながら、農と食のジャーナリスト、新渡戸文化短期大学客員教授として活動。放牧を織り交ぜて育てる短角牛を岩手県に所有、持続可能な畜産のあり方を学ぶ。倫理的な食のあり方を伝えるメディア「エシカルはおいしい!!」主宰。著書に『エシカルフード』(角川新書)、『炎の牛肉教室!』(講談社現代新書)など。