エネルギーを大量投入して生物多様性を喪失してしまう近代農業。その解決策として注目される多年生穀物は、毎年耕す必要が無く、環境を再生する食料生産の鍵を握っている。
未来を釣り上げるスペイン流の方法
リサ・アベンド ガリシア州の海岸では、先駆的な会社が数世紀にわたる伝統を現代に取り入れています。友人のナンシーは納得がいかないようでした。私は半年に一度のマドリード訪問中で、今回は、輝く皿に盛られたルビー色の生ハムや、甘みがあっていい塩加減のグリルした美味しいエビが楽しめるいつものタパスバーではなく、この明るすぎる新しいバーで会おうと強く誘ったのです。隣のテーブルは騒がしく、安っぽいスペインポップスが流れていました。私が注文した油まみれのタイセイヨウサバの塊が乗った厚切りのパンがテーブルに運ばれると、ナンシーは疑わし気に皿を見て「これがあなたが食べたかったものなの?」と尋ねました。「缶詰の魚が?」 ナンシーが疑問に感じるのはよく分かります。私自身もかつてはそうだったからです。缶詰のサバの印象はつねに、塩辛く、不愉快な魚臭さがあり、たっぷりの油に漬けられているのにパサパサしている、というものでした。しかしそれは、私が缶詰への考えを改める前のことです。
はじまりはスペインの北西海岸にあるガリシア州のビラノーバ・デ・アロウサからでした。窓を閉めたままこの町をドライブすると、この場所だと気付くことはほとんどないでしょう。アロウサ湾に位置し、地元の作家ラモン・マリア・デル・バリェ=インクランに関する博物館、悪くない海辺の遊歩道、そして単調なブロック型の工場が多く並びます。しかし、車から降りると、ビラノーバ・デ・アロウサ最大の特徴がすぐに明らかになります。それらの工場から放たれる揚げたニンニク、酢、そしてシーフードの魅惑的な香りが、まるで香水の雲のように街を漂っているのです。
ガリシア沿岸の他の町と同様に、ビラノーバ・デ・アロウサは缶詰食品を支える拠点です。スペイン語ではさまざまな意味が「缶」に含まれていますが、ここガリシアでは漁業は主な経済活動であるだけではなく、実質的な宗教でもあり、マテガイからマグロまであらゆるシーフードの缶詰を意味しています。それはスペインの食卓に欠かせないもので、海から遠く離れた内陸地域に運ばれる海の味であり、バゲットに乗せて、簡単で素朴な食事の源となるものでもあります。
Photo: Amy Kumler
最近、この地域を代表していた缶詰食品にいくつかの変化が起こりました。マドリードで訪れたような、保存食しか提供しないレトロスタイルのタパスバーの出現も原因のひとつです。しかし、一部では〈コンセルバス・アントニオ・ペレス・ラフエンテ〉のような会社の努力のおかげでもあります。2005年、同社は持続可能な漁法に転換した初のシーフード缶詰生産者として缶詰を現代に持ち込み、品質の概念を再定義しました。そして、私のサバの概念も間違いなく変わりました。「私たちは、スペインにおける先駆者だった」と、創設者の孫で同社のCEOを務めるフアン・ペレス・ラフエンテは話します。「当時は持続可能な漁法が何を意味するのか、誰も知らなかった。だが私たちは、それが特定の魚だけを捕獲するということを学んだ。それがサバだったんだ」
その決定の背後にあるのは、世界経済の変化は言うまでもありませんが、同時に数世紀にわたるスペインの歴史があります。保存食としての魚は、1800年代にスペインで初めて産業化され、漁業の深い歴史を持つガリシアはその中心となりました。当初、塩と日光のみで魚を乾燥させるシンプルな保存方法の「サラソネス」に特化していたこの地方で、技術の進化により次第に缶詰も重要な手法となっていきました。フアンの高祖父はその新しい知識を利用し、やがて提供する製品を多様化させ、その中に缶詰が含まれていました。
彼の子供たちが成人するころには缶詰事業は好調になり、兄弟たちとのもめ事もあって、フアンの祖父アントニオがその事業を会社から切り離し、自分で事業をはじめました。「残りの家族は、サラソネスを手に入れた」とフアンは話します。
「隙間市場に気付いたんだ。しかし、まったく新しいシステムを考え出す必要があることも意味していた」
— フアン・ペレス・ラフエンテ
アントニオのタイミングは完璧でした。第一次世界大戦で、スペインは中立を保ちました。つまり、前線から離れた場所にあるガリシアの製缶所はそのまま残り、一方でヨーロッパの他の多くの地域は廃墟と化したのです。20世紀を通して、業界は成長しつづけました。「50年代と60年代は、町全体が漁業と缶詰製造業で暮らしを立てていた」とフアンは話します。「市庁舎にサイレンがあり、収穫があると鳴って、人びとに缶詰工場に行くよう知らせていた」
最近では、サイレンが鳴るのは特別な場合だけです。漁業と缶詰製造業は今でも町の主要産業ですが、多くの人々が大都市へと移っていきました。そして機械化が進み、徐々に職人的企業が工業的企業に変わると同時に、大企業が昔から続く家族経営の会社を買収しはじめました。1970年代にガリシア沿岸に並んでいた約500もの缶詰会社は、1990年代までに100社に減少しました。「今では、40か50社しか残っていない」とフアンは話します。
今世紀の初めに父親が他界したとき、フアンは決断を迫られました。「売却はしたくなかった。でも、昔からの顧客は減っていたし、缶詰の店も姿を消しつつあった。この家業を確実に存続させるにはどうしたらいいのだろう?」その答えは、伝統にとらわれたガリシアにとって、無謀とも思われるほど大胆な改革でした。フアンは持続可能な漁業とオーガニック食品に転換することを選んだのです。
当時、欧州連合が減少種の漁獲に対し、割当量の削減や全面的な一時停止さえも課しはじめていて、種の脆弱性に関する認識が広がっていました。ガリシアの海岸線の多くがダメージを受けた2002年のプレスティージュ号の原油流出が、その認識をさらに高めました。同じ時期に、オーガニックおよび持続可能な製品のヨーロッパ最大の消費国であるドイツへの輸出事業を開始したばかりだったフアンは、別のやり方を実行する機会になると確信しました。「隙間市場に気付いたんだ」とフアンは当時を振り返ります。「いくつかの点でそれは、私たちがつねに行ってきたことの継続を意味していた。つまり、地元産のものを利用し、職人が丁寧に加工をする、ということだ。しかし、まったく新しいシステムを考え出す必要があることも意味していた。独自の基準を開発する必要があった」
〈グリーンピース〉や〈ワールド・ワイルドライフ・フェデレーション〉などの組織との出会いは、コンセルバス・アントニオ・ペレス・ラフエンテが行った新たな手法の展開を助けました。最初のステップとして、持続可能性が保証される種に生産を限定することにしました。ムール貝はガリシアで養殖されているうえ、じつはそのろ過メカニズムを介して水の浄化に役立っているため、当然の選択でした。そして、タイセイヨウサバがもう1つの選択でした。
タイセイヨウサバ(学名:Scomber scombrus)は、遠洋性あるいは深海性の種で、主に幼魚や小さな甲殻類などの動物プランクトンを摂取しており、スパニッシュサバやキングサバとは異なります。食物連鎖の下位で捕食するため、他の水生生物に大きな「フットプリント」を残しません。それに対し、タイセイヨウクロマグロなどの最上位にいる捕食者は、全体で1年間にその海域のニシン資源の最大30%を摂取する可能性があります。サケのような養殖魚でさえ、その体に450グラムを貯えるために、最大で2,268グラムも粉砕して魚粉にした食用魚を必要とします。「食物連鎖の下位にいる魚を食べるということは、海により多くの魚が残されることを意味します」と、オランダに拠点を置き、ヨーロッパの漁業における持続可能性を評価する組織〈グッド・フィッシュ・ファウンデーション〉のディレクター兼漁業専門家であるクリスチャン・アプシルは話します。「また、食べる魚に含まれる水銀やダイオキシン、その他の有害物質の蓄積が少ないことも意味します」
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タイセイヨウサバは資源量が豊富でもあります。「タラとは異なり、1つの種族しかありません」とアプシルは話します。「そしてそれは、アイスランドのように、以前にはいなかった地域にまで拡大を続けています。理由ははっきりとは分かりませんが、気候変動が関係しているかもしれません。良いことは、この種がさらなる圧力に耐えられることを意味している、という点です」
その回復力の原因の1つは、サバの捕獲方法にあります。そこでホタという愛称で知られるホセ・ラモン・フェルナンデス・デル・バルについて紹介します。ホタは自身の缶詰工場経営に加えて、ラフエンテのために魚介類のバイヤーをしています。ホタが仕入れるタイセイヨウサバは、ガリシアから東に数時間の距離にあるカンタブリアで特に責任のある漁法で捕獲されています。
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ビスケー湾の曲線に打ち込まれたくさびのようなカンタブリアの町サントーニャは、スペインで一番の(地元の人によれば、世界で一番の)アンチョビの生産で有名な漁村ですが、サバも捕獲されています。通常3月下旬から5月下旬の間、サバが南下するときにこの海域で大量の群れを作るのです。その期間中、欧州連合は捕獲可能な総量(量は毎年変化)とサイズ(魚の体長は18.0cmを超えること)、そして年齢(2歳以上)を規制します。
同様に重要なのは、サントーニャでサバを捕獲する方法です。「ここでの釣りはすべて職人的だ。彼らは家族であって大企業じゃない。そして全員がコフラディアのメンバーだ」とホタは説明します。コフラディアとは中世にルーツを持つ組織で、今日では組合と社会的組織の両方の機能を果たし、独自のバーがあり、フェスティバルも行います。「そしてコフラディアのメンバーはアンスエロでしか漁をしない」
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アンスエロは、ラインに最大で30個の釣り針が付いたもので、針にはサバが好む小さな甲殻類に似せた赤いウール糸が巻き付けられています。つまり餌は必要ないのです。サバの群れは非常に大きく、またサバを釣るためにはそれぞれ個体が針に食いつかなければならないため、アンスエロはトロール船や巾着網漁とは異なり、混獲を確実に減らすことができます。「間違って別の魚を捕まえるなどということはない」とホタは話します。「網だと何もかもをすくい上げる。ときには1日に80トンもだ。でも、アンスエロは敬意を持って魚を扱い、コントロールする。このやり方で種を絶滅させることなど不可能だ」アンスエロはより高い品質も保証するとホタは言います。「大きな網では、底にいる魚はつぶされてしまう。糸を使った漁ではそれは起こらない。これより優れた漁法はないね」
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サントーニャでは、朝の5~6時に小さな漁船が出航し、巨大な魚の群れに出会うまで、波の荒い海を進んでいきます。アンスエロを広げて海中に投じると、ラインが数十匹のサバでいっぱいになるまでに時間はかかりません。それを繰り返し船に引き上げます。その日の必要量を捕獲すると、船は町に戻ります。岸壁で荷がおろされ、魚は即座に競売にかけられます。ここでホタは初めて魚と出会います。購入後、魚は氷詰めになって、ビラノーバ・デ・アロウサへ向かうトラックに積み込まれます。収穫からラフエンテに到着するまでの時間は、半日という短さです。
環境と社会の両面に対する持続可能性の重視は、工場の入り口で終わりにはなりません。洗って調理された魚は切り身にされます。残屑から水産養殖で使用される魚粉が作られるため、何ひとつ無駄にはなりません。その後、切り身は会社が有する70のレシピの1つに従って缶に詰められ、密封、殺菌されます。この作業はすべて、ラフエンテ社に雇用されている30人ほどの女性が行います。「ガリシアでは、この作業は昔から女性の仕事でした」と、品質管理を監督するモニカ・シルバは話します。「時間とともに近代化されるかもしれませんが、今のところはすべて私たちのものです」
つまり、この女性たちが製品の品質に最終的な決定権を持っていて、繊細な取り扱いが鍵となります。フアンは、魚の表面にある薄い脂肪の層を維持することがとても重要だと話します。「それがジューシーになる理由なのだ」
たしかにジューシーです。私は自宅で、ラフエンテがプロビジョンズ用に特別に調理したスパニッシュパプリカのサバの缶詰を開け、スプーンで中身をすくい、スライスしてトーストしたサワーブレッドに乗せます。缶に入っていたスパイスの効いたオリーブオイルがパンに染み込み、美しいエストレマドゥーラ産パプリカの赤レンガ色に染めていきます。まずは一口。驚くほどたっぷりとした身としっかりとした肉質の魚で、ローストした赤ピーマンとタマネギがほのかな甘みを引き立てます。気付くと私は、次の一切れに向かっています。
Photo: Thomas J. Story/Food styling: Karen Shinto
そして、それは私だけではありませんでした。数週間後、例のマドリードのタパスバーで、私は皿をナンシーに差し出しました。私たちの目の前にあるサバは、そのほとんどが輸出されているラフエンテ製ではありませんが、ローストした赤ピーマンのフムスを乗せた素朴なパンに、魚がちょうど良い肉感と塩気を加えています。「意外だけど」もう一切れに手を伸ばしながらナンシーは、少し驚いた様子で言います。「美味しいわね」
こうして、缶詰への改心者が1人増えたのです。