泳ぐ魂
泳ぐ魂
カール・サフィナ博士
彼女は、ここに横たわり、まばたきをしない1つの目で頭上の巨大な木々と、その後ろに広がる太陽に照らされた空を見つめながら、自分の一生が映像のように流れていくのを見ているのでしょうか。たぶん、そんなことはないでしょう。彼女には、自分を突き動かした衝動の記憶はなく、若い頃にこの川を離れ、大海という広大な屋根の下で海中深くまで旅して、戻って来たことも覚えていないのでしょう。そしておそらく、川の急流に逆らって活路を開き、日の光に輝く滝を跳ねあがり、強いオスを選んだことも、今では思い出せないのです。卵を産み、未来を形作る役割を果たしたのだ、と彼女が知ることはあるのでしょうか。彼女が生きた日々の間に、仲間たちは自然の災害や狡猾な捕食者、病気、事故、網、釣り針、そして人間が作った構造物に倒れたことを少しでも理解できるのでしょうか。そこに横たわり、死んでいきながら、自分は生き延びたと彼女が知ることはあるのでしょうか。
サーモンにとって起こる可能性のあるすべての幸運な出来事が、彼女の身に起こったのです。しかしここ北米の、太平洋岸北西部沿岸の大多数のサーモンには、その逆が起こります。
サーモンはかつて、世界で最も複雑な生き方をする魚でした。生涯の一時期を淡水魚として過ごし、別の時期には海水魚になり、さらに再び淡水魚となって、一心不乱に卵を産むために死を迎えへ、死ぬことによって種族を次の世代に残すのです。これらの異なる段階を通るには、他の生物の中でも最高レベルの極めて大きな肉体的変化と、ほとんどの生物よりもはるかに高度なナビゲーション能力が必要とされます。サーモンの謎は先住民を畏敬の念で満たし、同様に、私たちが知りえたサーモンの事実は科学者や動物学者、現代の釣り人たちを感嘆させました。
比較的短く、控えめながらも大胆な一生の中で、北米大陸分水界から大洋の中心までにわたる、可能な限りの広範囲を移動して戻って来るサーモンは、あらゆる点で非常に優れています。その生涯とストーリーは、より一層複雑になってきています。現在では、伐採、農業、水力発電、ダム、政治、農薬、海外市場、私有財産権、公有財産権の争い、趣味としての釣り、商業的および生活手段としての漁業、そして人工的な繁殖などの困難な問題を加味して初めてサーモンの世界を理解できます。互いに関係し合い、サーモンを衰退させるそれらの問題を理解するには、人間の意識を高い場所と深い場所の両方に向ける必要があります。サーモンは、最も美しい湧き水と最も深い海の底の間を行き来せずには生きられないからです。
高地と海、頂上と深淵にかかる銀の糸のように移動を繰り返すサーモンは、大陸と急流、潮流をしっかりと結び付けて、陸地や海に対する人間の行動すべてから影響を受けます。私たちは、実に多くの被害を及ぼしているのです。
米国のグレート・ノースウェストやカナダの太平洋岸は、絶滅の危機に瀕している海産魚が世界で最も多くいる地域となっています。古代から続く海産魚がこのような速さで消えていく場所は、世界でも他にありません。パシフィック・サーモンは、ワシントン州、オレゴン州、アイダホ州、およびカリフォルニア州にある繁殖地域の約40%から姿を消しました。これらの地域では、100年前の生息地域の3分の2でサーモンがすでに絶滅したり、絶滅の恐れがあったり、あるいは危機に瀕したりしています。
私が恐れているのは、これが異常事態ではなく、前兆ではないかということです。ニューイングランドからの知らせや北海からのニュース、国際会議での報告、熱帯の海岸線の風評など、すべてが類似した情報を伝えてきます。私たちは海を利用しているのではなく、使い果たそうとしているのだと。人間の生活域が拡大し、世界を埋めるにつれ、私たちは他の生物から生存の恩恵を奪っています。そして私たちは自分自身からもそれを奪っているのです。絶滅とは、異常な形での死です。ほとんどの死が命の循環に新しい一面を加えるのに対し、絶滅は特殊な終末、系統の終焉、未来の排除をもたらすからです。詩人のゲーリー・スナイダーが表現したように、「『死』は生命が迎えざるをえない終わり、『誕生の断絶』はまったく別のこと」なのです。
太平洋岸北西部は、世界へと続く窓のように、多くの学ぶべきことを提供しています。とりわけ、多様な人間の行動目的を研究することができます。その中には、毒を使ってサーモンを駆除しようとした人々から、サーモンを崇拝する人々まで、極めて多岐にわたる考え方や手段、そこから見えてくる人間の本質そのものが含まれます。その間に、希望はゆっくりと広がります。もし私たちが教訓を学べるなら、この北西部で得た教訓を世界中で適用することができます。時間はまだあります。
地域の精神や魂を象徴する野生動物はわずかしか存在しません。インドのトラ、アフリカのライオンやゾウ、オーストラリアのカンガルーなどです。北米では、グレート・プレーンズのバッファローと太平洋岸北西部のサーモンが、経済や文化、人間の帰属意識を支えていました。白人の入植者は貪欲さから、あるいは先住民に対する虐殺の一部としてバッファローを殺害しましたが、サーモンは大事にしました。先住民と同じように移民たちも、サーモンに何か深く、力強く、感動的で貴重なものを見ていたのです。彼らのサーモンに対するアプローチが、先住民たちが数千年にわたって示してきたよりも畏敬の念や敬意が少なく、良い結果を生まなかったとしても。
この北西部のことを考えると、すぐにサーモンが頭に浮かびます。あなたにとってサーモンが悪の象徴であれ、救いの象徴であれ、ここではサーモンが大きな位置を占めています。それぞれの地域を象徴する特定の動物は、他にもいます。しかし、サーモンは特別です。彼らの象徴的な力と、経済や栄養学的な面で人間の文化に重要な影響を与える能力が、21世紀まで残っているからです。サーモンを必要とし、それを求める人々と、サーモンの両方を守る闘いで最大の希望が、そこにあるのです。
カール・サフィナ博士はロングアイランド(ニューヨーク州)で育ち、子どもの頃から釣りをし、海の近くで人生を過ごしてきました。彼は、『Song for the Blue Ocean(邦題:海の歌 人と魚の物語)』や、『Eye of the Albatross: Visions of Hope and Survival』の著者であり、『The Seafood Lover's Almanac』の共著者です。海の野生生物が直面する問題を浮き彫りにし、解説し、解決に導いた業績に対し、Pew Scholar's Award in Conservation and the Environmentや、Lannan Literary Award、Burroughs Medal、およびMacArthur "genius" Prizeを受賞しています。