アルピニズムが息づく「液体の岩」
柿崎 至恩2006年の9月、フランク・コーネリッセンのブドウ畑に初めて立った。ヨーロッパのワイン用ブドウ畑をこの目で見たのも初めてだったが、ブドウの樹はどこにも見当たらなかった。そこはただの荒れ地のようだった。背の高い草の陰にある、黒々とねじれたものをフランクが指差した。いわゆる中国茶の世界で言うところの野放状態(除草もせず自然の中に埋もれるように育つ高樹齢の茶の木は、成長が非常に遅いが、余韻が長く、香りが濃厚で、口の中に味わいが残るお茶ができる。ただ、文字通り完全放置しているわけではないことに注意)で、樹齢100年を超えるネレッロ・マスカレーゼ種のブドウ樹だった。樹からつまんで食べた小さな房の小さなブドウ粒は、それまで食べたことのない圧倒的な美味しさだった。超高密度な、土地の一年の記録。水菓子のような、日本の大粒で水分の多い甘いブドウとはまったく違うベクトルで、信じられない高みに到達していた。
ナチュラルなものであれ、テクニカルなものであれ、ワインというものは現代の食品としては恐ろしくシンプルな原料でできている。味わいを構成するのはブドウの房に含まれている各種の有機物および無機物、そして酵母をはじめとする微生物だ。だから一にも二にも果実の質が重要なのだが、その最上のものが食べ物の絶対値としても極めて美味であるということ、それが野放状態の老木から生まれるということを僕は目の当たりにした。人生の中で、価値観が一瞬で転換してしまう圧倒的な体験というものがあるとすれば、間違いなくこれはその一つだった。
ワインメーカーになろうと考えた場合に目標とするのは、自分の好きな作り手の特定のキュヴェであったり、好きな産地の銘醸ワインであったりすることが普通だ。だがフランクは2001年、「液体の岩」を目指してワインをつくり始めた(つまり、ワインの味わいで最も大切なものはミネラルであると考えたわけだ)。それは、彼が若いころ、かなりシリアスなアルピニストであったことが少なからず影響していると思われる。今でも彼のコートハンガーには、古いシュイナード・イクイップメントのバックパックがいくつかぶら下がっているはずだ。岩が人工物でない以上、その液体と位置付けたワインを、なるべく人為を排してつくるというのは当然のことだ。
「自然になるべく介入せず農作物を生産する」という考え方は、作物にとってよりもいろいろな意味で生産者にとって厳しいものだが、フランクにとってそれは「風土」という無形の観念を、ブドウを介してワインの中に美しく表現するためのほとんど唯一の手段だ。でもそれは(仮に最低限であれ)、元々の自然環境に対して望ましい人的介入であるのかどうか。フランクの本拠地がある北エトナでは、今や荒れ地よりブドウ畑が多くなってしまった。彼のブドウ畑のありようは、そこの生物多様性を高めることに貢献しているのか。本人に尋ねてみると「当然だ。間違いなく貢献している」と答えが返ってきた。「ナチュラルワイン醸造における重要なプロセスは、すべて畑の生物相の影響を受ける。かつてルイ・パスツールが明らかにしたように、ブドウ果の表面には場所に固有の酵母叢が存在している。畑の在来生物相を最大にするためには、土壌と作物を過剰に管理しないことが肝要だ。人工的な環境であるブドウ畑を、それを包含する大きな自然のシステムに順応させる必要がある。生物多様性は結果的に、できあがったワインの中に『複雑さ』として表出する。もちろん醸造技術の向上によるところもあるだろうが、ブドウが元々どんな味わいを内包していて、どのような在来酵母叢を持っているかが最も大切だ」
彼は生物学者でも土壌学者でもないが、ワインメーカーとして、ワインの中に北エトナの豊穣な生物相を表現している(それを感知するには当然、一定のワインリテラシーは必要だが)。もちろん科学データを積み重ねることでワイナリーとしてそれを証明することはできるだろうが、その結果が出るのは何十年も先だ。お金もかかる。しかもデータは味わうことができない。だが一つデータを挙げよう。彼の所有する「バルバベッキ」という岩がちな貧栄養土壌の畑があるのだが、そこを調査している土壌学者によると、そこの土壌中の有機物は、イタリア国内の他のブドウ畑と比較して2〜5倍以上多いという。
このエッセイを書くにあたり、僕はもう何年も彼のワインをきちんと飲んでいないことに気づいた。セラーを漁ってみると、フランクの「ムンジベルMC」の2013年が出てきた。MCとはモンテ・コッラの頭文字で、ここは僕がフランクと夜の9時頃まで連日整備した畑。2013年はそのファーストヴィンテージだ。よし、これを飲んでみるか。抜栓したてはとてもフレッシュな果皮由来のアロマ。そこにカカオやヨードの香りが濃厚に感じられるのが、まぎれもなくフランクのネレッロ・マスカレーゼであることを示している。これは、カジュアルラインを含め彼の赤ワインすべてに見られる特徴的な香りだ。30分もしないうちにこのアロマは落ち着き、だんだん揮発酸のニュアンスが表面化してくる。危険な兆候だ。初期のフランクのワインだったら、そこから液体の色はみるみるうちに褐変し、浦島太郎の玉手箱よろしく、哀れに年老いてしまう。ところがこのモンテ・コッラ2013はそうはならなかった。そのまま一晩持ちこたえたどころか(飲み干さずにどうなるか調べてみたくなったのだ)、美しく開いた。二日目のワインにはエトナの風土がピュアに(これはクリーンであることを必ずしも意味しない)美しく表現されており、驚くことに二週間後も本質的な味わいを失わなかった。フランクのつくるワインは2006年を境にとても安定した品質になったと言われるが、これはまさにその証左だ。「液体の岩」は今、誰が飲んでも美味しいと感じるナチュラルワインである。
最初期(2001〜2005年あたりまで)のフランクのワインは、いろいろな意味で専門家の物議を醸す危険な液体であった。それは彼のワイン作りが基本的に、マーケットや原産地管理呼称制度やメソッド化された生産技術ではなく、彼の理想や哲学によってドライヴされてきたことが原因であるが、それは最も称揚されるべきモノづくりのマインドだと僕は思う。
「私はアウトドアアクティビティが大好きだ。山登りはスポーツとして完璧なものだと思う。それは、テクニックとチャレンジ、そしてアドベンチャーが高次元に融合しているからだ。リスク要素とその回避方法、ルート策定、天候予測の方法、ギアの選び方……すべてにおいて緻密に準備しなければならない。さもなければ命にかかわる」とフランクは語る。彼は、アルピニストとしての情熱と知識、テクニックを、自らのワインビジネスにそのまま援用したわけだ。目指すゴールのために、畑とブドウにとって必要な人的介入は適切に行うが(わたしが2006年当時に見た畑の風景は、単純に管理が追い付かなかったという部分も多分にあるそうだ)、初期衝動を失うことなく、ロジカルな実践と改善を続けた結果は、昨今の彼のワインの世界的な評価の高まりによって裏付けられる。今や彼はエトナ有数のワイン生産者となり、25名の従業員(僕がいたときのフルタイムスタッフは3人だった)とともに、年間15万本ものちゃんと美味しいナチュラルワインを世に送り出しているというのだから驚く。僕がいたころのほぼ10倍の規模だ。
パタゴニア プロビジョンズで販売される彼のワインはパタゴニア向けとして特別に醸造されたものだが、それはこれだけの生産力があるから可能になったと彼は語る。だが、シュイナードだけでなくパタゴニア製品のロイヤルユーザーであり、「パタゴニアの思想と、自らのワイン作りの思想はとても共通点が多い」と話してくれたことのある彼なら、この規模になっていなくても手掛けたような気はする。僕はまだ飲んでいないが、それはパッソピシャーロ産のネレッロ・マスカレーゼを古いエトナの伝統を踏まえて浅く抽出したものだという。ロゼはダイレクトプレス、赤でも果皮からの抽出は48時間以内にとどめている。言い換えれば、彼の上級キュヴェのような難しさはなく、いつでもだいたい美味しく飲めるワインだということだ。
このワインのボトルには、アウトドアアクティビティに同行させやすいようにと、フランクのワインの中で唯一スクリューキャップを採用している。それを聞いて僕は、畑作業の昼休みにオリーブの木の下でサバ缶を挟んだパニーニを食べながら彼のワインを飲んだことを思い出した(ある日コルク抜きを忘れたのだが、どうやって開けたか記憶は定かでないがとにかくちゃんと飲んだ)。あるいは、多くのタスクを一人で抱え込んでしまったフランクが突然ザックに缶詰めとワインボトルを詰め込んで「何日か山に行ってくる」と言い残し一人エトナ山に消えていったことなども。その彼が15年後、エトナという世界的なワイン産地を名実ともに代表するナチュラルワインの生産者となり、地元の社会にも自然にも大きく貢献していることにリスペクトを禁じ得ない。
ムンジベルMCを飲みながら僕は、イタリアの美学者ベネデット・クローチェの「『美』を『成功した表現』と定義することは、妥当かつ適切なことと思われる。というよりむしろ、端的に『表現』とするのがよい。なぜなら、表現が成功しないときには、表現ではないからだ」という言葉を思い出していた。ワインが特別な飲み物であるのは、キリスト教世界でキリストの血のメタファーとされてきたからではない。キリスト以前からワインはつくられ飲まれてきた。値段や専門家の評価は後付けの価値観にすぎない。自然と人間の関係性を端的に美しく表現するもの。それがワインだ。そしてフランクのワインは、その一つなのである。
レストラン「サーモン&トラウト」オーナーカヴィスト。フードジャーナリスト、産業翻訳者を経て現職。2006〜2007年にかけて、フランク・コーネリッセンのもとで働く。風土が読み取れる酒が大好物。奄美群島で「クレラン(中米ハイチでつくられるワイルドなラム)」をつくるのが夢。